人生に迷った弁護士の備忘録

大手法律事務所に入ったのになかなか合わず、これからの人生に迷っている弁護士の日々の備忘録。書評が多め(の予定)。

今後の社会は「拡大」なのか「縮小」なのか

しゃもじです。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします(だいぶ遅いですが笑)。

 

最後にブログを更新したのは昨年の9月なようで、かなりお久しぶりになりました。思えば、昨年10月〜12月半ばぐらいまではそれなりに忙しく過ごしていたような気もします。最近は再び緊急事態宣言が出たことにより、在宅勤務中心になっております。

 

その数ヶ月間(というかその前から)、今後のキャリアについては色々悩んでおりましたが、結論からいうと、今年の3月末で今の事務所は退所することにしました。経緯を話すと長くなりますし、まだ色々未確定要素があるのと、3月末までは今の事務所ということで、詳細は追々ということにさせてください。ざっくりいうと、地元の先輩の先生と事務所立ち上げることになりました。

 

正直、いずれ今の事務所を出て、正真正銘の個人事業主(この意味については、以下の私の過去の記事を参照ください。)としてキャリアを積むことは出ることはほぼ決めていたので、タイミングをどうするのかということでとても悩んでいました。

 

shamojigalk.hatenablog.com

 

この1年ほどのコロナ禍の影響で今後の社会がどうなるのだろうとか、自分のキャリアにどう影響するのだろうとか、そもそも自分は何者になりたいんだろうとか、色々考えました。あとは色々なことのタイミングも重なったりということもあったのですが、今の事務所は3月末で退所することにしました。一応フォローしておきますが、今の事務所が良くないとかそういう話ではなく(というか、むしろめちゃめちゃいい事務所です。こう書くと嘘っぽくなりますが。。。)、自分の今後のキャリアをどうしてきたいかということを考えた時に今の事務所でやりたいことがやりきれないという結論に至ったという感じです。

 

色々考える中で、今日のタイトルでもある今後の社会は「拡大」傾向、「縮小」傾向のどちらに進むのかということが、コロナ禍やコロナ禍明けの大事なファクターなのではないかと考えるに至りました。その上で最近の様々な社会の動きを見ていると、大きな組織よりも小さい組織や個人の強さが生きてくる時代になるのかなと思いました。最近の例でいうとこの2人の独立とかです。諸々考えると今の自分の状況とはだいぶ違いますが、共通していることも多いなという気もします。

 

www.youtube.com

 

次の事務所では特に固定収入があるわけでもなく、マジで死ぬ可能性もありますが、一方でやりたいことを制限なくできるのでそこは楽しみです。良くも悪くも今の事務所は大きく、組織に守られてる感がありましたが、そこから抜けて正真正銘の個人事業主になったときにどの程度自分ができるのかというところは自分でも未知数なので、ワクワクします。

 

今後自分がどのようなスタンスでいくのかは正直まだ定まってませんが、弁護士業はもちろんのこと、何かしら学術的な面でも成果を残せていけたらなと思っています。もちろん、両立がで簡単にできるほど甘い世界ではないことはよくわかっていますが、そんなことを言っていても始まらないので、自分の限界を知るという意味でもチャレンジしていきたいと思っています。

 

という感じで色々これからも(むしろこれからの方が)大変だとは思いますが、頑張っていきたいと思います。何卒、今後ともよろしくお願いします!

 

では、今日はこの辺で。

 

 

 

 

将来の人生設計とか

こんばんは、しゃもじです。

とてもお久しぶりになってしまいました。8月は暑くてやっぱりやる気が出ないですね。お盆休みのタイミングがとても合理的であるということがわかりました。いつの間にか9月になってしまい、日々をなんとなく過ごしていたら、弁護士として1年なんてすぐ経ってまいそうで恐ろしいですね。去年と比べて少しは成長したのでしょうか。むしろ様々な面で退化している気もしますので、あと今年3ヶ月ぐらいは気を引き締めて頑張りたいところです。

 

8月は本当にダラダラ過ごしてしまったので、本もほとんど読んでおらず自分の知識や成長という面では進歩がない日々でしたが、一方で将来の行き先は割と決まってきてそこは一安心です。とはいえ、行き先だけ決まってそこでの営業だったり、ブランディングのプランが何も決まってないので、このままだと成仏します。笑

 

最終的には、ロースクールの方針である「理論と実務の架橋」ということをより現実化させて行きたいのですが、そこの具体的なポートフォリオというか塩梅がまだ固まりません。最初は無理せず、弁護士だけで食っていけるようにしていくべきなのかなとも思っています。

現在の実務家教員制度は理論と実務の架橋という意味ではやや中途半端な場合が多く、結局実務も研究もできる(やっている)人材がどんどん出てこないと意味がないものだと思っています。まあでもそのようなポートフォリオでやっている人も何人かお見かけしますが、その方達はスーパーマンなので、私なんかにできるのかわかりませんが笑

 

最近読んだ本でこの辺のことが書いてあったのはこちらの本です。

 超ざっくりいうと、これからの時代長生きになるから今までみたいな3ステージの人生設計(教育→仕事→引退)では、うまく回らなくなりますよというお話です。若い世代では、いろいろなステージを積んで、5ステージぐらいあっていいでしょという感じです。

 

もうちょっとちゃんとした解説は、サラタメさんのユーチューブをご覧ください。

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大企業(大手事務所も一緒)は、なんとなく3ステージ制から抜け出せていない感じが強いと思います。これからの時代は、このような企業や事務所のブランドにおんぶに抱っこの状態では生き抜けないので、個人として何を重視してどのような人生設計で行きたいのかをよく考えて行かなければならないと思います。

このあたり、本書では、お金(有形資産)、家族との時間(活力資産)、スキル・知識等の所得を増やす要素(生産性資産)、変化、変身を遂げるための資産(変身資産)をその時々でどのようなバランスでどのように築いていくかを考えるべきと述べられています。

 

これを読んで自分の現状はかなりやばいとわかりましたが、かと言って最初に述べた通り、ざっくりとした将来像しかない私は、どのように人生戦略を考えていけばいいかわからず、途方に暮れています。このまま全てなんとなくでいくと全てが中途半端で終わりそうなので、どこかで腰を据えてしっかり考えていかなければならないと思います。先程の分類でいうと、変身資産を増やすというところでしょうか。

とりあえずは自分を知るというか、結局お前は何をしたいんだというところをしっかり考えていかないとだと思います。経験も少ないのでこれからなのかもしれませんが、そうもいってられないような歳になりつつありますし。

 

だいぶ雑な文章になってしまいましたが、今日はこの辺で終わりたいと思います。

ではまた。

 

 

不毛とか有用とか

こんばんは、しゃもじです。

4連休も終わりそうなので、ブログ更新しておきたいと思います。

みなさんは何をしましたか?私は本を数冊読んだぐらいで、基本的には何もしてません。

先ほど、Twitterで「不毛な4連休を過ごしたとしか言いようがない」とツイートしたら、某先生から「人生は基本的に不毛です。」というありがたいお言葉をいただき、確かにそんなものだなあと思っているところです。

 

自分でツイートしておきながら無責任なのですが、「不毛」という言葉の意味をしっかり確認したことないなあと思い、ググってみたところ、こういう意味だそうです。

 

  1. 土地がやせていて作物や草木が育たないこと。また、そのさま。「不毛な(の)地」

  1. なんの進歩も成果も得られないこと。また、そのさま。「不毛な議論」

不毛(ふもう)の意味 - goo国語辞書

 

2の意味が一般的な使い方でしょうか。思ってた意味と大体一緒だったのでよかったです。笑

 

最近、インハウスだと弁護士でなくてもできる仕事をやらされて辛い的なツイートが話題になっていました。これもある意味不毛な仕事させられて辛いって変換できますかね(進歩や成果はあるかもしれないからちょっと違う?でも、自分にとっての進歩や成果がないので、あってるのかもしれません。)。これはインハウスじゃなくてもありますね。この前、私もクライアントからパスワード付きで送られてきた100ファイルぐらいのパスワード全部解除するとかやりましたし(夜に頼まれたので、秘書さんにも任せられず。。。)。というか、今やってる仕事の9割ぐらいは弁護士じゃなくてもできる仕事だと思ってます。

 

インハウスの弁護士やアソシエイトがこのような業務構成になるのは、しょうがない面があると思います。

まず、私の大好きなクワドラントから考えたらこうなるに決まってます。インハウスは完全な労働者ですし、アソシエイトもほぼ労働者なので、基本代替性のある仕事が回ってきます(労働法の労働者性の話ですね。)。企業や大手事務所が組織化して業務を行っている以上、仕方のないことだと思います。もっとも、私のようなアソシエイトは一応秘書さんがついているので、本当に時間がかかって自分がやる必要ないものは秘書さんに仕事を振れるので、その点ではインハウスの先生方より恵まれているとは思います。

あとは、特に若手弁護士に言えることですが、根本的に弁護士として価値のある仕事を行うスキルや能力がその人にないということも挙げられると思います。その人に経験がないのだから、まずは誰でもできる仕事をこなしてもらって、そこから少しずつ経験を積ませるというのは普通に当たり前というかしょうがないと思います。

 

本当に自分の中で弁護士としてやりたい仕事だけをやりたいならば、人に頼らず全部自分でやれっていう話になると思います。少々言い方は乱暴ですが、インハウスやアソシエイトという他人に雇われ(一時的には)安定した収入を得られる立場を選んでいるのに、その上で仕事も自分がやりたいことや価値のあるものを選ぶというのは少し贅沢言いすぎだと思います。

 

こんなこと言ってますが、不満を持つ気持ちはわかります、というか数ヶ月前は同じようなこと思っていたので笑 内部昇進を考えている人は、今はしょうがないと思ってやるしかないんでしょうね。私とか出る気満々なので、この数ヶ月すら無駄な気がしていますが。。。

 

しかも、私は人に仕事任せるのってちょっと怖いんですね。あとは何かあった場合も自分がやったらしょうがないなと思えるというのもありますし、指示する時間や確認の時間考えると自分でやった方がいい(場合が多い)というのもあります。

この辺については、こちらも私が大好きな石原明先生が、他人に業務を任す場合、期待はしていいが依存はするな(依頼心は持つな)ということを言っています。

www.ishihara-akira.com

その通りだと思いますし、仕事ではこのマインドでできているのではないかと思います。1人でできる部分は全部1人でやって、必要最小限の部分だけ他人に任せたいと思ってるんで。ゴリゴリの個人事業主向きなんですよね。組織で生きるのは辛いタイプです。。。

 

仕事では」と書きましたが、プライベートでは人に依存しまくって生きたいタイプなので、独り身は辛いですね笑(俗にこれをメンヘラという?)

 

これ以上続けると変な方向に議論が進んでいきそうなので、今日はこの辺で終わりにします。

ではまた。

「問いのデザイン」の思考

こんばんは、しゃもじです。

大分ブログをさぼっていました。別に忙しかったわけでもないですが、なんだか書こうという気持ちになりませんでした。まあ、自由気ままに書きたいときに書くもんだと思ってるのでこんなもんでしょう笑

ブログは更新してなかったですが、本は読んでいたので、ゆるっと紹介しつつ、最近考えていることを書ければと思います。

 

最近は事務所の仕事もボチボチやりつつ、少しずつ将来設計をしていこうと思い、手を動かしたり、人に会ったり(これから会うのもあるけど)して、少しでも将来を具体化しようとしてます。世の中いろいろ厳しいなぁという出来事もあったのですが、やはり今の事務所では味わえないことが外の世界にはあるなと感じられる日々です。

別に今の事務所が悪いとかじゃなくて、自分が純粋な(企業法務)弁護士という職業自体にそれほど興味がないのだろうなという感じです。今の事務所は純粋な弁護士として働いていくなら最高の事務所なんじゃないかとすら思ってます。日本の中でも最高峰の設備・環境で企業法務の多種多様な大型案件を扱い、お金や将来の心配もあまりせずにひたすらに弁護士としての経験を積んでいけるので、これ以上の場所はないと思います。

一方で、いつかのブログにも書きましたが、大手事務所で働くのは「労働者」(Eクワドラント)になることなので、安定しますけど、将来はほぼ決まってます。数年経験積む→留学・出向する→戻ってもう少し経験積む→パートナーになるっていうレールです。(多少の実力主義はあるものの)ある意味、企業の年功序列みたいなもんですね。本当に入ってからも思いますが、一般の大企業と何も変わりません。移籍することもあるかとは思いますが、それも別に転職とあまり変わらないと思います。

こういうのも1つの幸せな生き方なので、とてもいいなと思うこともありますが、私にはちょっと合ってないという感じです。なんでも自分でやりたくなっちゃうんですよね。純粋に弁護士としての仕事のスキルだけを伸ばし続けるということができないんだと思います。なんならもう飽きはじめてます。大した経験も積んでないのに生意気ですね、すいません。

 

前置きが長くなりました。本を紹介するの面倒になってきたので、これで終わりで良いですかね?最近読んだ本を少し紹介したいと思います。

最近読んだ本でとてもよかったのは、安斎勇樹・塩瀬隆之「問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション」です。

問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション

問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション

 

 

この本は、ワークショップのファシリテーションについて書かれているのですが、1章から3章ぐらいまでは、問いのデザインについてや問いのデザインに必要な手順の一つである課題のデザインの考え方が書かれており、物事を考える際の参考になることが盛り沢山です。

課題設定の罠(58頁以下)は自分も日々陥っているものばかりで気をつけなければなと思ってます。具体的には、⑴自分本位、⑵自己目的化、⑶ネガティブ・他責、⑷優等生、⑸壮大というものです(これより詳しい内容は自分で読んでください笑)。

あと、問題を捉える思考法(65頁以下)のあたりはよく言われる話かもしれませんが、改めて物事を捉える際にはこのように考えようと思うところでした。こちらも具体的にいうと、⑴素朴思考、⑵天邪鬼思考、⑶道具思考、⑷構造化思考、⑸哲学的思考です(これも詳しくは読んでください笑)。

 

ところで、皆さんは「問題」と「課題」の違いってわかりますか?こちらの本では、以下のように定義しています。

 

「問題」の定義(49頁)

何かしらの目標があり、それに対して動機づけられているが、到達の方法や道筋がわからない、試みてもうまくいかない状況のこと

 

「課題」の定義(58頁)

関係者の間で「解決すべきだ」と前向きに合意された問題のこと

 

考えてみると、これも確かにそうだなあと思う一方、1人で問題を抱え込んでる場合はどうやって課題を設定していくのだろうという疑問を持ってます。まあファシリテーションの本なので、1人で考える場合が考慮されていないかもしれませんが。個人的には私が前座で書いた今の事務所への違和感(?)は明らかに「問題」な気がしていて、それを今いろんな人に会ったり、自分で具体的に手を動かして可視化することで「課題」にしようとしている的なイメージなんですよね。ちょっと定義とずれてる気がしますが。

 

まだ漠然としか考えていないので、全然思いつきなのですが、前回紹介した「イシューからはじめよ」の「イシュー度」と「解の質」的な考え方を組み合わせるとこの辺ももうちょっと整理されそうな気がします。

 こうやってみると、この2冊の表紙デザインめっちゃ似てますよね(色だけ)。

この辺まとまったらまた書きますね、いつまとまるか知りませんが。笑

 

かなり雑多な感じになってしまいましたが、今日はこの辺で。

では、また。

「悩む」と「考える」

こんばんは、しゃもじです。

 

今日も今日とて、業務に追われながらも気晴らしに書いていきたいと思います。

備忘録なので、感覚的にはツイッターの長文バージョンみたいな気持ちでやってます。自己満ですね。

自己満って生きていくにはすごい大事だと思っていて、ある意味ちょっとはナルシスト的な気持ちを持って生きた方が人生何かとうまくいく感じはします。何事も自信を持って行動していくことが成功に繋がるというとちょっとかっこよくなりますね。

とはいえ、あんまり自信ばっかり持ってると、ふとした時に自己評価と現実のギャップに気づき、悩むことがある気がします。まあ、今の私なんですけど。笑

今は一応大手事務所にいるのでいいですが、個人で見たら何の市場価値もないなと思い、かなり悩んでいます。若手で大手の中にいる限りは、内部での競争はあるにせよ資本主義社会の競争に巻き込まれることはほとんどないので、ぬるま湯に浸かってる感じですね。いつまで経っても自分の市場価値が上がる気がしません。

大手に行けば新しいことばかりで何か面白いことやこれから進んでいく道も見えてくるかなと入所前は思いましたが、今は入所前よりお先真っ暗という感じで悩みはさらに深くなりました。この事務所にずっといる将来は見えないですし、出たとしてもそのあとの未来も見えません。半年でスキルらしいスキルも身についてないですし(焦りすぎかもしれませんが。)。

自分の市場価値ってなんなんですかね、マーケティングしようにも自分自身がよくわかってない。「さあ才能(じぶん)に目覚めよう」を読んでみたんですけど、これだ!って感じの強みがなくて困ってます。

 

 この本(というか本についてるシリアルナンバーでできる診断)では、自分の強みトップ5が出るのですが、こんな感じでした。

 

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めっちゃ研究者みたいな結果ですね。やっぱ研究者目指せばよかったのかな。。。

昔から物事を深く考えて、分析して、まとめるみたいのは結構好きです。ロースクール時代も受験1年前なのに、刑法のリサーチペーパーを1年かけて書き上げ、大学紀要に載せてもらったりしました。助教になる話もあったのですが、もう少し世の中を広く見てから考えたいなと思い、弁護士になっているというのが現状です。

なので、こう言ってはなんですが、あまり弁護士という職業自体にはこだわりがなくて、もう少し広く、自分が一番この世の中の役に立てる場所ってどこなんだろうなというところは常に悩んでいます。まあ、せっかく弁護士にはなったので、この肩書は今後も生かしていきたいんですけど、なかなかそういう立ち位置も見つからないですね。

 

 

 

ここまでの文章では、「悩む」と「考える」という言葉を少し意識的に使い分けてみました。

この違いについては、「シン・ニホン」でも有名な安宅和人さんの「イシューからはじめよ」の初めのところ(4頁)に書いてありますので、以下で引用します。

 

「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること

「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること

 

私が刑法のリサーチペーパーを書いていたときは、完全に「考え」ていました。というか、ある一定の結論を導き出さないと完成しないので、考えざるを得ないという状態でしょうか。

また、司法試験の問題を解く時も「考え」ていたのでしょうね。答案という形ではありますが、一定の答えを作成しようとしているわけなので。

その一方、私が今後のことについて考えているときは大概「悩ん」でいます。答えなんて出るわけないと思ってますね。答えが無数に想定できるというところも悩みに陥っている原因な気もします。

まあ、全く悩まない人間とか人間味がないので怖いですが、悩みすぎはよくないと思います。

最近将来に悩みすぎて先輩に相談していたら、この本を強く勧められて、(2週間ぐらい積本してましたが)読んだところ、今の私がどれだけ「悩む」ことの闇にハマってるかということが理解できました。最近ではこの本を参考にして、自分の将来についてもイシュー度(自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ)と解の質(そのイシューに対してどれだけ明確に答えを出せているかの度合い)を意識して「考える」ようにしています。

 

皆さんも何か悩み事があったら、一度この本を読んでみて、「考える」とはどういうことなのかを学んでみてください(他にもいいことたくさん書いてありますが、書ききれないし、書きすぎるとみなさんが本を読んでくれない気がするので。別に回し者ではありませんが笑)。

 

書いていたら、業務でのイライラがスッキリしたので、今日はこの辺で。

では、また。

ひとりで生きていたならば

こんばんは。しゃもじです。

 

ブログのタイトルですが、SUPER BEAVERの曲名です。中条あやみ主演映画『水上のフライト』の主題歌だそうです。

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ビジュアルとは裏腹に(と言っては失礼かもしれませんが)、歌詞がかなり深いですね。

まさしく、エモい曲です。全体的に素晴らしいのですが、特にいいなと思ったところを引用します。

 

悔しくて 哀しくて 虚しくて 苛立つ夜は
それでも 愚痴では 明けやしない 理不尽でも
悔しくて 哀しくて 虚しくて 苛立つだけで
終わらせることが 何より 悔しいよな

たった
ひとりで生きていたならば こんな気持ちにならなかった
ひとりで生きていたならば 理不尽も許せたかもな
ひとりで生きていたならば ひとりで生きていないから
悔しさ込み上げるほどの 「大切」に出会えたんじゃないか
こだわって生きると 今一度言い切るよ
原動力はずっとひとりで生きていないこと

 

私は「理不尽」が一番嫌いです。社会で大した経験もしていないですど、それでも理不尽なことは多々ありましたから、これからもっともっとあるんでしょうね。

理不尽な扱いを受けるのは気に食わないですし、心に大きな傷を負うこともありますが、相手側に文句(クレーム)を言って、それを改善させる余地があるなら、まだそれも軽減される余地があると思っています。もちろん、一番いいのは、理不尽がなるべく無くなることですが。

 

すごく昔の例を出すと、中学生の時、定期テストカンニング疑惑をかけられたことですかね。

中学生の時は地元の公立中学でしたが、成績はそこそこ良くて(自慢ではない)、そのテストの時は、初めて校内で1位になりました。結果が出たあと、よくわかりませんが、歴史のテストで私がカンニングをしたという噂が校内中に広まり、周りの同級生からはほとんど話しかけられなくなりました。

この時は先生に呼び出されて、カンニングしてないことを説明したら、先生も私の言うことを信用してくれたため、疑惑は晴れて解決したのですが、噂をしていた同級生とは完全に仲悪くなりました(それまでは結構友達多いと思ってたんですけどね・・・。)。

この時から、私は人というのはあんまり信用できないし、理不尽なことをいつしてくるかわからないから、本当に信用できる人と以外はあまり深く関わらないようにしようと考えるようになりました。この件に関しては、幸い先生が味方(?)についてくれたので、大した心の傷を負うことはなかったので、よかったですが。そのおかげで、高校、大学、大学院は特にこの事件のことをあまり意識せず、楽しい学生生活を送れました。

とはいえ、この時に感じた「何か」は未だに心に残ってますし、どこかに心の傷があるのかもしれません。

 

こういう経験もあり、世の中の理不尽を少しでもなくしていきたいなという気持ちはどこかにあります。この潜在意識があったからこそ、弁護士になったのかもしれません。

 

そういえば、お読みいただいているみなさんは、先ほどの私の例を見て「いじめ」に当たると思いましたか?最近は、山崎聡一郎さんの「こども六法」のブームもあり、このあたりの議論にスポットが当たる機会も多くなりました。

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この辺の問題は、修習生の時にお世話になった先生がかなり関心を持って取り組んでいらっしゃったので、いろいろ見せていただいたことがあるのですが、それらの取り組みは私もやってみたいと思うことが多くありました(例えば、各弁護士会で学生を対象にいじめの予防授業ということをやっていたりしています。)。私はまだまだ勉強不足で、この分野について多くを語るほどの知識を有していませんので、これからもっと勉強していかなければならないと考えています。

一冊だけ、その修習でお世話になった先生に勧められた本を紹介します。森田洋司先生の「いじめとは何か」という新書です。

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森田洋司先生は、いじめの研究者で知らない人はいないレベルの超有名人です。このような方が、いじめ問題について比較的わかりやすく解説する新書です。「いじめ」という言葉の定義がそもそも難しいのですが、そのあたりも詳しく解説されています(お時間ある人はいじめ防止対策推進法2条の定義とかも見てみてください。)。

 

こういう勉強をするのは、前回のブログで書いたところでいう「絶え間ない学習と奉仕」を自分自身ものすごく感じますし、自分ってこういうことをやりたいのかなと最近はかなり思ってます。先ほども書いたように、世の中の理不尽を少しでもなくしていきたいなという気持ちはありますし、理不尽に反論するお手伝いも出来たらすごくいいですし。

なので、こういう方面の仕事が出来たら幸せなのかもしれません。いじめ問題もそうですが、世の中の理不尽に立ち向かったり、力が強くない方の味方をするのが私は好きみたいです。今の事務所はそういう仕事が正直あまりないので、なんか違うのかなと思ってしまってる気もしてます。

 

今日もいつも通り、あまりまとまりがないので、この辺で終わりにします。

では、また。

お金と時間と幸せと

こんばんは、しゃもじです。

前回の投稿は、ローの同期で、今は私と同じような事務所にいるしかばねちゃんのnoteに取り上げていただいたこともあり、多くの人にご覧いただけたようで大変嬉しい限りです。しかばねちゃんの投稿にある悩みも私の悩みと共通する点も多くて共感する部分も多かったので、是非見てください。

note.com

 

月300時間働いたら死ぬ的なこと書いてあって、確かにそうだよなあと思いました。私はそんなに働いたことまだないけど。 

これとの関連で(?)Twitterでしかばねちゃんから、こんなリプをもらいました。

 

これは、前回私のブログでも書いたことにも関わる悩みですね。大手にいると建前上は個人事業主でも社員みたいなところありますからね。

 

この辺について書いてある本を自粛期間中にたまたま読みましたので、紹介したいと思います。「金持ち父さん貧乏父さん」で有名なロバート・キヨサキさんの「金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント」です。

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ざっくり説明すると、この世の中の収入を得るための手段は、E(employee、従業員)クワドラント、S(self-employed、自営業者)クワドラント、B(business owner、社長) クワドラント、I(investor、投資家)クワドラントに分かれていて、金銭的な成功、経済的自由を手に入れるにはBかSクワドラントを選ぶのが良いという話です(ざっくりしすぎですが・・・)。

本を読む時間はないけど、もう少し詳しく知りたいという人はサラタメさんのYouTubeをご覧ください。15分で先程の説明よりはもう少し詳しめに解説しています。本は経験談的な話が結構あるので、コアな内容だけ知りたい人はこれで十分かもしれません。

youtu.be

 

弁護士は、Sクワドラントの人が多いですかね。大手のアソシエイトの多くは建前上Sですが、実質は完全にEクワドラントですよね(中には建前上もEのところもありますが)。

 

まあ何が言いたいかって、正直弁護士の稼ぎとかたかが知れているということです。そもそも労働集約型のビジネスなので時間単価を上げないと稼げないといけないという上、結局自分が働かないといけないので、自ずと時間的な制約が生じてしまいます。

大手事務所のパートナーといえど、(アソに任せる比率は人により程度の差はあるものの)自分でもある程度は働かなくてはならないので、プレイングマネジャー的な地位をいつまで経っても抜け出すことはできないです。年配のパートナーが深夜まで普通に働いてるとか全然ありますよね。恐ろしい話ですが。数億円稼いだところで、事務所の経費と税金除いたら、結局半分も手元に残らないでしょうし。

弁護士でも完全なボス弁(Bクワドラント)まで抜けてしまえば、また別でしょうけど、なかなかそこまでいくのも大変ですね。

こんな感じで自粛期間中の私は、弁護士って世間体はいいのに、こんなに夢のない職業なのかと思ってしまったわけです。

 

でもよく考えると、別にお金のためだけに弁護士になったわけでもないし、何かもっと自分がやりがいを感じるとか、この仕事が人のためになってよかったとかそういう視点があったよなぁとも思っていました。

 

こんなモヤモヤを持って自粛期間を数種間過ごしていましたが、ある本を読んでこのモヤモヤは、かなりクリアになりました。それが、ティモシー・フェリスさんの「『週4時間』だけ働く」です。

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この本はタイトルの通り、週4時間だけ働いて、ニューリッチ(NR)な幸せな生活を送るための方法やこの本を読んで実際にそうなった人の経験談等が書かれています。例えば、メールチェックの回数は極力減らす的な話とか(これ実行して、振られた仕事をフルシカトした自分)、あとはコロナで何かと話題ですが、リモートワークを実行していろんな場所に旅行しながらでも仕事しちゃいましょう的なこととかが書いてあります。

NRというのは、がむしゃらに働いて金を稼ぎまくってるやつだけが幸せじゃなくて、自分の時間を作ってゆったり楽しく生活してれば、大して稼ぎはなくても超裕福層みたいな生活できるから、そういう幸せを目指そうよ的な概念ですかね(ちょっと意訳しすぎかもしれません。)。

 

いやさっきまで話してた話と全然違うやんというツッコミは、受けて然るべきかもしれません。

私がこの本で一番いいなと思った部分は、今書いたような時間の作り方の話よりは、時間を作って、結局何をするのかということについて書かれた部分です(435頁以下)。全文引用したいですが、長くなりそうなので、少し端折って書きます。

「私は信じている。人生は楽しむためにある。そして、もっと大切なことは自分自身に満足することである。人は、それぞれこの2つの目的に対する手段を手にするだろう。またその手段は時とともに変わるだろう。・・・『人生は楽しむため、そして自分自身に満足するためには、どんなことができるだろうか?』すべての人に当てはまるようなただひとつの答えを示すことはできない。でも、私が取材した何十人かのNRの話をもとにすると、2つの基本的要素が存在する。それは、絶え間ない学習と奉仕である。」

 

これを読んで、私はかなり衝撃を受けました。人生は絶え間ない学習と奉仕というところに集約されている。今までの自分の人生を考えても、確かにそうだなと恐ろしいぐらいに共感しました。

 ※一点補足ですが、ここでいう「学習」はお勉強的な話ということのみならず、例えば海外旅行とかも含みます。「トラベル」の語源は「トラブル」とは言いますが、旅行では現地に行かないと体験できない様々なことがありますよね。旅行して今までみたことないような素晴らしい景色を見て感動するなんてこともここでいう「学習」ここに含まれてます。「学習」というよりは、「体験」という感じの方が日本語訳的には正しい気もします。

 

この考え方からいくと、大手事務所でいつまでもバリバリ仕事しているというのも、人生のひとつの答えだなと思います。自分が仕事をすることで「絶え間ない学習」と「奉仕」が満たされるということは十分あり得るわけなので。

まあでも、普通の人は仕事だけで絶え間ない学習と奉仕バロメーターが満たされることはなくて、プライベート(家庭のパートナーや子供との体験による「学習」をして、その家庭のために仕事をするという意味での「奉仕」)を充実させたり、趣味をしたりすることで、初めて絶え間ない学習と奉仕バロメーターが満たされるでしょうね。そこら辺のバロメーターがどういう比率なのかは人によって違うんでしょうね。だからティモシーさんも「すべての人に当てはまるようなただひとつの答えを示すことはできない。」と言っていると思います。

 

これからの私の人生は、この「絶え間ない学習と奉仕バロメーター」がどうやったら満たされるかを探すことから始めないといけないと思っています。自分のことはわかっているようで、わかってないです。自分が何をやりたいのか、どうなりたいのか、というところが未だにわからないので。プライベートでも幸せになりたいですし笑

 

いろいろ書いているうちに前回の記事よりも長くなってしまったので、今日はこの辺で終わりにします。

 

では、またそのうち。